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ソチミルコとアステカ帝国 [旅]

メキシコシティ観光というと、

宮殿
メトロポリタン大聖堂
テンプロ・マヨール(アステカ王国の遺跡)
国立人類学博物館
テオティワカン遺跡
ソチミルコ

他にも様々な美術館、グアダルーペ寺院、新しいところでラテンアメリカタワー(地上44階)などたくさんありますが、とりあえずは、これらがまずは定番ではないでしょうか?

私にとって、ソチミルコは初めてでした。ボートに乗って食べたり飲んだりする場所という印象だったので、一人で行くのは多少ためらいましたが、ツアーに含まれていたのでラッキー!と。結果としては、メチャクチャ楽しかったので、とてもお勧めです。(ただ、集団で行くかツアーが良いです。)

昔メキシコシティはテスココ湖という湖で、その中の島の一つにテノチティトランという壮大な都市がありました。アステカ帝国の首都です。1519年にスペインのエルナン・コルテスがそこに到着した時は、湖の中に聳え立つ大都市に一同ビックリ仰天だったとか。その時の王、モクテスマは、メキシコで昔から信じられていた神話(いつか海から白い顔をした神が我々を救いにやってくる)を信じていたため、征服者であるコルテス達を神と信じ、大歓迎してしまいました。城に招いて御馳走し、あっさり国を取られてしまったのです。

インディオ達が反撃を試みたりしたものの、1521年にアステカ王国は滅亡します。スペイン勢(キリスト教徒たち)は街を破壊し、その廃墟の上に現在のメキシコシティとなる都市を築きました。20世紀初頭に、昔の城跡が発掘され、今は一部無料で見ることができます。宮殿脇にあるテンプロ・マヨールです。ただ、チャック・モールなど肝心なところは外からでは見えないので、初めての場合は、博物館から見学することをお勧めします。
ちなみに、チャック・モールというのは、いけにえの儀式で心臓を置くお皿を持った少年の像のことです。様々な遺跡で見られます。
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詳しい話は、歴史家のページに譲るとして、かなり残酷な形で王国を奪われたわけです。明るいイメージのメキシコ人ですが、歴史的なトラウマを今も引きずっていることは、メキシコ中の壁画に見られます。一番代表的なものは宮殿の中にあるディエゴ・リベラによる巨大な壁画でしょう。メキシコの歴史が一つの巨大な壁画に収まっています。

スペイン語表現(hijo de chingada犯された女の息子)にも現れています。つまり、スペインの男性に犯された女の息子→子孫ということで、メキシコ人にとって最大の侮辱に当たるようです。メキシコ人について詳しく知りたい人は、オクタビオ・パスの『孤独の迷宮』を読むと良いでしょう。



数年前までメキシコシティは実に世界一を誇る大都市でした。(今はインドですね。)人口だけでなく、都市部が大きいのです。国際空港が都市の中心部に近いため、夜到着の飛行機から見る夜景は圧巻で、30年も前の話ですが、機内で「うぉおおおおお」という感嘆の声が上がったのを覚えています。

この大都会が500年ほど前は湖だったわけですが、コルテスの征服により、埋め立てられていきました。埋め立て地ゆえに、1986年の地震では大きな被害が出たのです。

そのテスココ湖の名残がソチミルコに残っている、というわけです。
ソチミルコにあるこの観光地は、アステカ時代の唯一の名残、と何度も聞きましたが、要するに湖があり、そこにトラヒネラと呼ばれる派手な屋根付きボートがたくさん、本当にたくさん行きかっている憩いの場所です。

お土産品を売っている様々なトラヒネラ、焼トウモロコシを売っているトラヒネラ、マリアチス(楽隊)が乗っているトラヒネラと、いろいろなトラヒネラが行き来して、楽しいのです。食べ物のオーダーもトラヒネラから行い、しばらくすると運ばれてきます。マリアチスは1曲いくら、という単位で歌をリクエストしますが、隣にトラヒネラを並べて、2艘の間を行ったり来たりして演奏してくれ、大盛り上がりです。
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メキシコだなあと笑えたのは、自分たちのトラヒネラに乗るために、他のトラヒネラ2艘くらいの中を渡り継いで行ったということ。船から船へと歩いて渡っていくのは、ちょっとしたアトラクションでした。
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金曜の夕方だったこともあり、学校が終わった若者が踊り狂って大騒ぎしているトラヒネラがたくさんいました。中には座り込んでいるマリアチスのボートの横で、ロックをガンガンかけて騒いでいるトラヒネラも・・・若者はどこも同じですね。

昔は、この湖にチナンパと呼ばれる浮島での菜園があったのですが、汚染の原因になるとかで中止になったそうです。ソチミルコで見たいものの一つだったので残念ではありましたが、そんなことが気にならない楽しさでした。

実はソチミルコの前にコヨアカン地区の散策と、映画にもなったフリーダ・カーロ(画家)の家(青の家)の見学をしましたが、写真はあまり撮れませんでした。
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慌てて出発だったので、携帯の充電器もデジカメも持たず、あっと言う間に携帯は電池切れになりそうだったのです。写真がないと、記憶もやばいので、多くは語れませんが、フリーダの家は、外から見る以上に中は大きくて綺麗でinteresting満載でした。庭の美しいこと!
フリーダは若い時の交通事故で身障者だったので、それを見せつけるかのように、彼女の特殊な全身の装具やコルセットや、特別にあつらえた衣類などが展示してありました。

ところで、コヨアカンというこの地域はまるでマイアミの高級住宅街を思わせる素晴らしいエリアでしたが、名前はコヨーテから来ていて、その意味するところは「ズルいヤツ」。アステカの人々がスペイン人をこう呼んだようです。コルテスがここをヌエバ・エスパニヤ(新スペイン)の首都としたからでしょう。
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