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アメリカ入国とESTA、搭乗手続きなど(メキシコでの話) [旅]

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メキシコには直行便も出ていますが、格安チケットで行こうとすると、どうしても直行では行けません。アメリカ経由でメキシコに行く場合が多いですが、そのためにはまずアメリカに入国しなくてはなりません。帰りも同じです。テロが起きる度に、入国審査厳しくなり、刻々と変化するようですが、2016年2月段階で必要とされた書類などについて書きますので、誰かの参考になればと思います。

メキシコで一番の目的はグアナフアトでしたが、日本からグアナフアトで探すと割高だったり乗り換えが多かったりで、最初はなかなかうまく行かず、いろいろ対策を考えました。

せっかく久しぶりにメキシコまで行くので、高校時代にホームステイをして以来ずっと付き合いのあるアメリカ人の親のところにも顔を出したい、という気持ちもあり、なかなか決められませんでした。
が、あれこれとネット・サーフィンをしていて見つけたDeNAトラベルの周遊券にすれば、値段が跳ね上がることもなく、3都市を周れることが分かり、決定。
flight.jpg

1.成田→L.A.→メキシコシティ (デルタ・アエロメヒコ)
2.メキシコシティ→グアナフアト (アエロメヒコ)
3.グアナフアト→L.A.→ソルトレイクシティ (デルタ)
4.ソルトレークシティー→ポートランド→成田(デルタ)

飛行機のチケットを予約すると、それとセットで頼むという条件で様々なホテルが割引になり、中には、かなり良い部屋が半額になるものもありました。地図で場所を確認したり、ホテルの様子をホームページで確認したりして、ネット上でサクサク決まっていきました。ただ、直接ホテルに連絡を取ったわけでなかったので、空港からの行き方や、出迎えサービスなどの有無の確認をすっかり忘れてしまい、メキシコシティは近いので問題ありませんが、グアナフアトでは、大変なタクシーに出会ってしまいましたが。(詳細は、「グアナフアトに現れた神さま」)

さて、出発の3日程前にDeNAトラベルから、旅行手続きに関しての注意がメールで送られてきました。そこで、うっかり読み飛ばしていたことが一件。安易に斜め読みをして、自分は関係ないと思った手続きが一つありました。
スーツケースは宅急便で早めに成田に送り、出発は夕方17時20分だったので、午前中に普通列車を乗り継いで行っても大丈夫と余裕をかましていた出発前夜。

もう一度、DeNAトラベルからのメールを確認しようと、今度はもう少し丁寧に読んでみて真っ青。
アメリカに入国するためには、ESTAという書類を入手しなくてはならない、それも3日前までに申請せよ、とありました。ESTAがないと搭乗できないと。

3日前って、もう出発は明日。十分に動揺しながらも、とりあえず手続きをしてみることにしました。アメリカのページに入り、時々失敗してやり直しながらも指示通りに入力を進めると、最後に14ドル支払えと。クレジットカードで、手続きを進めましたが、入力がうまく行かず、絶望的に。それでも、ここで放り出すわけにも行かず、最初の入力からやり直し、ついに送金まで成功。「認証は承認されました」というページが現れました。それでも、入国地で最終的な判定が下される、と書いてありました。あまりにもギリギリに手続きをしたので、税関を通るまでは少し不安でしたが、成田では、書類のコピーを見せるまでもなく、手続きをしたの一言でスルーでした。
ESTA.jpg

そうです、飛行機のe-ticketなども、書類のコピーを提示して搭乗券を受け取るようにと書いてありますが、一度も見せる必要はありませんでした。

昼過ぎには成田に着いてしまいましたが、荷物到着の遅れという理由で、17:20のフライトは19時に変更。更に成田が混雑とやらで実際に飛んだのは19:35頃でした。その上、飛行機が飛んですぐに乗客に病人、「お医者様がおられましたら、キャビンアテンダントまで」という放送を初めて直に聞きました。ただ、成田で出入国フォームの記入が一切なくなっていたのは少し手続きが簡略化された良い変更でした。
LAに到着すると、まずはparamedicsを待って病人を先に降ろします、ということで更に遅れ、次の飛行機への乗り換えに1時間半くらいしかなく、少しずつ焦り始めました。

が、入国審査の行列で、浮かれた高校生の集団に先を越されたりして、やっと前列まで出たところで、「私乗り換えなんだけど、大丈夫?」と係りの人に訪ねると、「こっちにどうぞ」とロープを外し優先的に進むことができました。そこでコンピュータでエスタの手続きをするのです。いくつか入力して、写真と指紋を取られました。ここには手伝ってくれる人がいたので、スムーズでしたが、まだ荷物の手続きも、ターミナルを移動もあるしで、安心はできません。入国審査の人は "No problem."(大丈夫)と言ってくれましたが・・・

指示通りに早足で進み、スーツケースを受け取り、更に進むと、待ち構えていた黒人の係員が、一目見て、
「メキシコシティ行きだね。」と一瞬でスーツケースをベルトコンベヤーに乗せると、「ターミナル2へは、歩いても行けるし、無料のシャトルもあるけど・・・」と言いながらチケットの確認をし、突然、
"There is no time. Come with me." (時間ないな、俺について来い。)
と、シャトル乗り場まで連れて行ってくれました。

一応インフォメーションでフロアの確認をしてLevel 3へ。既に搭乗時間は始まっており、ゲートに着いた時にちょうど名前を呼ばれ、ギリギリセーフ。

ところで、アメリカからメキシコに向けて出国する時の税関審査の時は、靴も脱ぎました。靴は大分前からアメリカでは脱がされていましたね。

メキシコに向かう飛行機の中では、customs declaration(関税申告書)を英語・スペイン語の二つの書類に記入させられました。2枚提出というのは初めて。

さて、次の飛行機(メキシコ・シティ→グアナフアト)は国内便。にもかかわらず、2時間前には空港に行くべきだとホテルの人に言われ、7時半にはホテルをチェックアウト。余談ですが、朝の6時から「フレンズ」をスペイン語でやっていました。"Friends"は、世界中で人気みたいですね。

ところが、国内便でも搭乗手続きが厳しく、成田でもL.A.でも見逃されていた電子辞書2台にヴォイス・レコーダーまでトレイの上に出させられ、ボディ・チェックまでありました。今度は出発が5分早まるという番狂わせで、意外に時間の余裕はなく、2時間半ほど前に行っていて良かったです。現地の人の言うことは聞くものですね。ただ、2時間も手続きにかかって乗ったフライト時間はほんの40分でした。

もう、メキシコシティには戻らないんだ、と少し寂しくなりながらも、憧れのグアナフアトに期待をしていたのでした。
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さて、次の移動はもう、メキシコにさようならでした。過ぎればあっと言う間ですが、メチャクチャ充実した1週間で、数十年分を一気に取り戻した気分でした。
グアナフアトのレオン空港は、グアナフアトから1時間くらいのところにありますが、フライト時間は朝の7時半。つまり、5時半には空港に着かなくてはならない。ホテルの車を頼んでいましたが、いつ来るか分からないメキシコ時間が心配でした。前日にもホテルの人に、しつこいほど飛行機の時間を伝え、朝5時にフロントに私が電話をするという手はずになっていました。

その日は朝4時起きで、5時に電話。ところがいくら待っても電話に出てくれません。そう、フロントまでは3階分登らないと行けないのです。仕方がない、様子を見にいこうか、と思った時に、ノックの音が。フロントではなく、運転手と一緒にしばらく前から、駐車場にいたのだそうです。

まだ町中にオレンジ色の光がきらめく中、美しいグアナフアトを後にしました。
GTO夜6.jpg


空港に着いて何も考えずにアエロメヒコに並んでいたら、デルタは隣、と分かり、並びなおし。前方に日本人らしき年配の男性が永遠に訳の分からない交渉をしていて、全く進まない。やっと順番が来た、と思ったら、なんと、L.A.行きのフライトがキャンセルになったので、アトランタ乗り換えでソルトレークシティーに行けと言われました。デルタからのお詫びに、上階のレストランの朝食券をもらいましたが、レストランは閉鎖中。インディオ風のおじいさんも同じくチケットを持って、ウロウロ。場所を確認しようと2度ほど上がったり下がったりしましたが、搭乗時間まで1時間もなかったので、朝食券はあきらめ、出国の手続きをしてしまいました。ここでも、パソコン、電子辞書などの電子機器や来ていたジャケット、リュック、ウエストポーチ、そして靴など、それぞれのトレイに乗せて・・・直前に飲んでいたペットボトルはアッサリ没収されました。

さあて、ここからは正式にアメリカですが、午後の1時半頃ユタ州ソルトレークシティーに到着の予定で、「駐車場で待っているから着いたら電話しなさい」と言われていたのに、アトランタ乗り換えに変更になったので、到着時刻は夜の7時5分。家まで電車で行くと3時間もかかるようだったので、もう家を出たに違いない、どうやって連絡をしようか????と、携帯番号をメールで聞いていたことをすっかり忘れパニックになっていました。とはいえ、その飛行機からは電話もできず、しょうがない。とこの話はまた別の記事に書くことにして、アメリカ再入国の手続きはアトランタになりました。

最初にL.A.で入国審査を待っている間、"Second ESTA?"と言って周っている係員がいました。セカンド・エスタの人は、あっちの空いているところで機械で処理できるから並ばなくて良い、と言ってましたが、私は初めてたっだので、長い列に並んでいたわけです。

今度は間違いなくセカンド・エスタなので、比較的あっさりとコンピュータの並ぶところに通され、自分で入力して進んだと思います。思います、というのは、出入国審査をする場所は写真撮影禁止になっているので、微妙にあちこちのものがごちゃごちゃになってしまっているのです。また、ここでいくつかの情報を入力し、指紋などを取られました。ただ、メキシコと違ったのは、アトランタでは、持っていたペットボトルを即没収ではなく、「飲み干したかったら、あそこで飲んでおいで」という一言がありました。メキシコからアメリカに来てホッとした瞬間の一つでした。

そうです。このエスタが今回の新しい手続きでした。
成田に行く前に、ESTAの書類手続きを済ませ、14ドル支払っておくこと。これは2年間有効なので、今回は2度のアメリカ入国に使えました。また、更に入国審査をする前に、コンピュータに必要事項を入力し、指紋を取られます。写真も取られたと思いますが、記憶に自信がありません。

そして、アトランタからソルトレークシティーへの国内便でも機内持ち込み荷物のチェックは細かく、靴も含み5つくらいのトレイでエックス線チェックがなされ、女性の係員に全身ボディチェックを受けました。

その後のアメリカでの珍道中は別の記事に譲りますが、残りはソルトレークシティーから、オレゴン州のポートランドまで国内便で行き、成田行きに搭乗。ソルトレークシティーでは、コンピュータでチェックイン、いくつか分からないことはありましたが、誰も係りの人がいなかったので、適当に進めたら何とかなり、そこでプリントアウトされたペラペラのチケットを持って荷物を預けに。その場でパスポートを見せ、すぐに出発ゲートへと、いたって簡単でした。

ただ、ポートランドで、成田行きの搭乗時刻が12時10分なのに、到着したのは12時24分。出発は13時5分とはいえ、次のフライトの搭乗時刻より遅くその空港に到着というのは初体験で、かなり冷や汗ものでした。この時ばかりは、荷物の受け取りは必要ありませんでした。

昔は、最終目的地で荷物を受け取っていましたが、そのせいで間違いも起こり、マイアミからシカゴ乗り換えでサン・フランシスコという国内便に乗ったにも関わらず、荷物だけがカナダに行ってしまったことがありました。国を越えたせいか、関税手続きなんちゃらでトロントからいったん荷物はL.A.に運ばれ、それからサン・フランシスコ、そして自宅(当時アメリカの親が住んでいたサクラメントの近く)まで運ばれてくるのに、数日かかった記憶があります。

ESTAなどの手続き、X線による荷物検査は一段と厳しくなる一方のアメリカ大陸でした。この旅の後で、ベルギーのテロ事件が起きていますから、また更に厳しくなるかもしれませんね。

とにかく、アメリカに入国する場合は、ESTAを忘れてはいけません!
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理一11組の内田です

期末テストを受けられず、すみませんでした。もういっかいチャンスをいただければ幸いなのですが、なんとかご検討いただけないでしょうか。もしよければ、下のメールアドレスに連絡をください。
ucchi0910@gmail.com
by 理一11組の内田です (2016-07-14 14:30) 

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