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チップの活用法再び [旅]

日本人にとって馴染みのないチップって悩みの種ですよね。

イギリスの貴族が始めたという説もありますが、様々な国の人に聞いてみると十人十色の返事が返ってきます。

あるオーストラリア人は、オーストラリアもヨーロッパもチップはいらない、あれはアメリカの習慣だ、と力説していましたが、料金の25~30%くらいを払うという人が多いようです。結構な額な氣がします。昔は端数分で良いと思っていましたが、チップの相場も上がっているのかも。

客船では、サービス料として申し込みと同時に徴収されますが、追加料金のお酒などは、そのたびにチップの額を書き込む欄があり、後でカードから引き落とされます。

キャッシュでチップを払うのは、いわゆる毎日の枕銭だけですが・・・

「毎日のことだし1ドルくらいで良いかな」と考えていた私に、船で仲良くなった年配のアメリカ人女性が、
「部屋の掃除などをしている人たちは、貧しい人たちが多いから、毎日5ドルは置いてあげた方が良いわよ。余裕があれば、20ドルくらい置くわ。」

5ドルを600円とすると、6泊で3600円。既に数百ドルがサービス料で取られているのに・・・と考えてしまう。

結局、1ドルから始め、毎日増やしていく、という方法にし、最終的には10ドル近くになりました。

金額はともかく、昨年メキシコでもやって喜ばれたチップに折り鶴は今回もやりました。
鶴.jpg
メキシコのグアナフアトでは、折り鶴をチップと一緒に毎朝置いておいたら、私の部屋担当だったエレナが最終日にびっくりするほどのプレゼントをくれたのでした。(詳しくは「チップの活用法」)

今回も毎朝折り鶴にドル紙幣を乗せたり、敷いたりしていたのですが、その日の内に
「あの芸術品あなたが作ったの?ありがとう!」

そして3日目あたりから、部屋に戻ると、ビックリ仰天のお返しが施されていました。
眼鏡タオル.jpg
部屋に帰ったとたん大笑いです。

さる?.jpg
これはサルでしょうか?

かもめ.jpg
これはカモメ!

なんて器用なのでしょう!

私は鶴しか折れなかったので毎日折り鶴でしたが、彼女のお返しは、それこそ本当に素晴らしい芸術作品でした。
一つだけうっかり壊してタオルとして使ってしまいましたが、毎日のサプライズは旅をより一層楽しくしてくれました。彼女は船の清掃係りをやめても、芸術家としてやっていけますね!!

この素晴らしいタオル芸術家はこの人↓
まくすぃむ.jpg

1日2度は部屋に来ます。朝は掃除とベッドメイクなど、そして夕方には窓のカーテンを閉め、よく日の予定表を置いて行くのです。廊下で会うことも多く、追加の水の注文とか船を降りる時のルールなど(物凄い数なので様々なきまりがある)、いつも笑顔でいろいろ教えてくれました。

この船の中は全てが英語でしたが、スペイン語でチップは女性名詞で propina (プロピナ)と言います。
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カリブ海の豪華客船内のエンターテイメント! [旅]

今日は、ローヤルカリビアン社のクルーズ船内におけるエンターテイメントをいくつか紹介します。

3階の中央にはスケート・リンクがあり、アイスショーが催されます。
アイスリンク.jpg


夜、2回公演。何度行っても構いません。
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乗客がスケートを楽しめる時間も設けてありましたが、様々なスポーツイベントと同じく日中なので、セミナーの時間とぶつかり、私は参加できませんでした。
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4階には巨大なコンサート・ホールがあり、コンサートやマジック・ショーなど毎日様々なステージが繰り広げられていました。好きな時に出入りできるので、気楽に楽しめます。
コンサート1.jpg

コンサート2.jpg

その他、5階のプロムナードでも、ダンス・イベントが行われたり、あちらでは有名な歌手が表れて歌ったり、すべてのイベントを網羅するのは不可能ですね。
プロムダンス1.jpg


プロムダンス.jpg


ちなみに、普段の5階プロムナードはこんな感じで、高級品店、アイスクリーム店、レストラン、バーなどが並びます。
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カリブ海の豪華客船「フリーダム」1 [旅]

今日は船の全体像を紹介します。

1週間で全部は把握できませんでしたが、15階建てで11階から上は空に近く海の景色を満喫できる施設が並びます。
11階の片側にはウィンジャマーという巨大なレストランがあり、窓際に座ると海の上で食事をしているような気分になれます。毎朝7時半からドクター・スーのヨガが反対側のサンルームであったので、朝食は大抵ここでした。

ウィンジャマ.jpg


3つに大きく分かれたプールが中央部分にあり、飲み物などを注文するバーカウンターが真ん中にあります。その他ひょんな所に自分でソフトクリームが作れる機械が置いてあり、プール両脇、つまり海側にはイスとテーブルが並び、皆自由にくつろいでいました。
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プールに入れたのはやっと5日目。船がコスタ・マヤに停泊している時でした。停泊中には、基本的に船で行事は行われません。
プールサイド.jpg


時には子供用の楽しいプールで遊んだりしました。これは水の入っていない時に上から撮ったものです。
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あちらこちらにジャグジーもあり、タオルも貸し出してくれます。ウィンジャマーのちょうど反対側にはジムがあり、たくさんのマシンが並んでいました。

12階の建物部分は特別なラウンジになっていますが、中央にプールを見下ろす形で、船を一周するランニング・トラックがあり、早く走る人用とゆっくり歩きたい人ようのレーンが方向とともに決められていました。朝は7時前から大勢が走っていました。日の出は7時過ぎだったので、ランニングをして朝日を拝んで船上の一日を始めるのです。

最上階の15階は船の片側だけで、そこには礼拝室がありました。一度だけ、ドクタースーの特別講座(プラス料金)がそこで行われました。20名ほどで満員になる小さく神聖な部屋でした。

スポーツ施設が多くあったのも12階あたりでした。ミニゴルフ場、ボルダリング、テニス?コートなど、時間が決められていて、私は使用中の様子は見れませんでしたが、ローヤル・カリビアン社一番の自慢は、サーフィン練習場でしょう。ミニゴルフ場の後方に見えるのは、隣に停泊したノルウェイの船。フリーダムにはない派手なスライダーが見えます。
ゴルフ.jpg
ボルダリングと何かのコート
ボルダリング.jpg
水が入っていない時のサーフィン練習場
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あまりにたくさんの施設があり、少しずつ把握し始めた頃に船旅は終わってしまいました。2週間くらいは欲しい!

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手の届く夢、カリブ海クルーズ2 [旅]

さて、どうなるんだろう?という不安を味わう暇もなく、まずは自分の部屋に向かいます。
ここまで、完全に一人で行かなくてはなりません。私の場合、その後もしばらく一人でしたが。
部屋へ.jpg


5時頃に出発予定だったので、4時までには乗船すること、と書いてありましたが、私は3時半くらいにはもう部屋に着いたと思います。ドアを開けると、二つのベッドの奥に丸い窓が見える綺麗な部屋。ここを独りで使います。

というのも、ルームメイトになるはずだったキャンディスは、急きょ手術を受けないと命も危ないと診断され、1か月前にキャンセルを余儀なくされていたのです。私より前から予約していた彼女はがっかりしていましたが、命には代えられません。フェイスブックで全部報告すると約束し、新しいルームメイトを期待しましたが、結局見つからず、私はオーシャンビューの二人部屋を一人でのびのびと使える羽目になったのです。羽目?そうです、初体験だらけの旅なので、船のいろいろを満喫するには勇気を出して一人でも挑戦する、という覚悟が必要でした。セミナーに行けばすぐに友人はできるでしょうが、ルームメイトがいる安心感は大きいはずです。

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バスルームも綺麗です。
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でも、ノンビリはしていられません。私の部屋は3階の後方寄りでしたが、セミナーグループに合流するには、2階の前方寄りにあるコンフェレンス・ルームで受付をするようにとメールに書いてありました。しかし、3階の自分の部屋から2階のコンフェレンス・ルームまでの行き方が複雑で、スタッフに聞かずに移動できるようになるには丸2日はかかった程です。なぜかと言うと・・・

3階の中央にはスケートリンクがあるため、船の後方から前方への通り抜けができないのです。一度、4階に上がり、派手で巨大なカジノを通り抜けて反対側に行ってから、2階まで降りる必要がありました。前と後ろ、右と左、何度間違ったことか!
4階には両脇に寝椅子の並んだデッキがあり、カジノを通らずに海の風を浴びながら移動できると知ったのは慣れてから。このデッキも何度行ったり来たりしたことでしょう!移動だけで運動量はバッチリです。とにかくウンザリするほど広かったです。

夕食の場所はグループごとに決まった場所があり、私のグループ75人はレオナルド・ダイニングルームという豪華なレストランの一角でした。ただ、大勢が船の様々なレストランを楽しんでいたようで、夕食に全員が揃うことは一度もありませんでした。ここは唯一自分の部屋から比較的近く簡単に行ける場所だったのですが、それに気づくまで数日かかりました。6機ずつが前方と後方にそれぞれあったエレベーター近くのホールには、最後にオークションが行われる絵画がどっさり並んでいました。自分の部屋へ行くのに必死でゆっくり絵を見る暇はありませんでしたが・・・

コンフェレンス・ルームで受付をして、セミナーの予定表などを受け取り、一度部屋に戻りました。頭の中では、セミナーを一つも逃したくない、という気持ちがグルグルしていました。船でも、アイスショー、コンサート、他紹介しきれないほどのショーや、スケートやサーフィンをはじめとする様々なスポーツなど、1週間で全部は経験できないほどのアトラクションがありますが、私たちのグループのスケジュールを見ると、それはそれで朝から夜までびっしりです。水着はしっかり持って行きましたが、そんなチャンスがあるんでしょうか。

船が出発するよりも前の4時半に、船内アナウンスの指示通りに全員参加が義務の避難訓練に行きました。点呼を取って、指示通りの場所にしばらく整列させられるだけでした。何がdrill、訓練だったんだろう?という感じ。グループの人は行ったんだろうか・・・

そうこうするうちに、グループが集まる夕食の時間。出発時間と同じなので、出発の大騒ぎには参加できませんでしたが、早く知り合いを作りたい一心で、レオナルドに行くと、グループの人はまだ誰も来ておらず、しばらくして現れたのがなんとMs.Pと同行した妹のお二人。いきなりの対面にビックリです。Ms.Pが参加の理由と告げると妹が「じゃあ、彼女の隣に座りなさいよ」と、二人の間で食事をすることになりました。向かい側には、世界中で大ベストセラーを連発している『ザ・シークレット』などのDVDに頻繁に登場するジョン・グレイ博士が座りました。
著名な講演者がたくさん乗るのは知ってましたが、行く前から私が知っていたのはこの二人で、いきなり最初の食事で引き寄せてしまった?有頂天に!という展開には残念ながらならないのですが・・・

↓これは私たち「ビヨンド・ワーズ」グループの予定表です。
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船の予定表はびっしり文字が埋まった8ページほどの冊子が毎日部屋まで届けられます。
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ちゃんと見て活用できるようになった頃にはもう残りわずかでした。
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手の届く夢、カリブ海クルーズ1 [旅]

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豪華客船でのクルーズ
テレビや映画で見るだけでなく、アメリカの親からも話を聞いていたので、行ってみたい!と思いながらも手の届かない贅沢だと思っていました。



3泊の列車の旅で15万とか払ってしまう日本人には
全然夢の話じゃないのです。
船の中は夢の世界ですけどね。
その体験をここに書いていこうと思います。

去年の6月頃だったでしょうか。
あるアメリカ人、波動の先駆者の一人Ms.Pのメルマガにセミナークルーズの計画が紹介されました。それは、2017年2月に1週間のカリブ海クルーズでいろいろなお勉強(スピ系が多い)をするというもの。

カリブ海と言えばメキシコ!
でも、きっとバカ高いに違いない!
いいなあ、と写真や日程を眺めながらも夢の話と思っていました。

それでも、そのメールは消せず・・・
10月頃また、そのメールを見ていて、改めて値段などの確認をしてみると、
夢じゃない!と氣付いたのです。

値段は部屋により違いますが、
一番安い内側(海は見えない)の二人部屋で1,300ドル程度。
その時のレートにもよるとはいえ、
高く見積もっても15万円にも満たない。
今たくさんある東京のバカ高いセミナーを考えたら、むしろ安いじゃないですか!

しかし、この時期には既に安めの部屋は全Sold Out!
それでも、あきらめる氣がしない。

交渉しようかと考えながらも、
「私は先の安定しない非常勤講師。カリブ海クルーズなんて贅沢すぎるだろうか」
が心をよぎる。

停泊地3か所は、考えたこともないケイマン諸島(イギリス領)、憧れのコスメル島、そしてコスタ・マヤ(共にメキシコ)。
私の地域じゃないですか!
時期は2月で大学は春休み。飛行機代も安い時期。
アメリカ入国用のESTAは2年間有効なので、
昨年取ってから1年で3回目の使用。(秋には恩師の追悼式に出るため週末だけでアメリカ、コネチカットに行った)無駄なく使えて良いかも。
でも、2016年は2回も北米行ったしなあ・・・
お金、大丈夫かなあ・・・
調子に乗り過ぎかなあ・・・

自分では決められないので神様に決めてもらうことにしました。
担当者のアデルに思い切ってメール。
「ぜひ参加したいのだけど、安い部屋はもう埋まってますね。私は日本からはるばる行くことになるので、飛行機代だけで更に千ドルはかかるんです。安い部屋のウェイティング・リストに載せてもらうことはできませんか?」

ーー良い返事が来れば神様のゴーサイン
ーー無理そうな返事ならあきらめ

2日後に来た返事。
「今、オーシャンビューの部屋(約1500ドル)でルームメイトを探しているキャンディスという女性がいるんだけど、ルームメイトになってくれて、3日以内に手続きしてくれるなら150ドルの値引きしてあげるけど、どう?このセミナークルーズは、著名な講演者もたくさん乗るから絶対お勧めよ」

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これは行くしかないでしょ!
ドキドキとワクワクの中、予約しました。
手続きは全ネット上で、
入力する箇所が多くて面倒くさかったのは確かですが仕方ない。

乗船地はフロリダのフォート・ローダーデール。
大好きなコメディで話題になっていた場所で、私にとっての夢の地の一つでした。
実際に行ってみると、そこはクルーズ船用の港でした。
飛行機と違って船は乗り遅れたら全てがパアになるので、前泊が必須。
ホテルに宿泊している人はクルーズ船に乗る人だらけ。
実は、ダラスからフォートローダーデールへの機内でその状態は始まっており、
隣の席のご婦人たちは、3週間のクルーズに乗ると言っていました。

出航が土曜日だったこともあり、
巨大なクルーズ船がその日だけで7隻。
もう、そのスケールの大きさに乗船前から圧倒されるばかりでした。

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私の船は、ローヤル・カリビアン社のFreedom of the Seas(通称フリーダム)。
15建てで、クルーも併せて7千人近い人が乗りました。
飛行機と同じく、出国手続き、セキュリティ・チェック(荷物検査)を経て(結構時間かかった)
ワクワクの乗船です。デッキでもう一度パスポートなどのチェックがあり、
その後、自分の部屋に向かいます。港に着いてから部屋まで4時間近くはかかったかな。

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アメリカ入国とESTA、搭乗手続きなど(メキシコでの話) [旅]

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メキシコには直行便も出ていますが、格安チケットで行こうとすると、どうしても直行では行けません。アメリカ経由でメキシコに行く場合が多いですが、そのためにはまずアメリカに入国しなくてはなりません。帰りも同じです。テロが起きる度に、入国審査厳しくなり、刻々と変化するようですが、2016年2月段階で必要とされた書類などについて書きますので、誰かの参考になればと思います。

メキシコで一番の目的はグアナフアトでしたが、日本からグアナフアトで探すと割高だったり乗り換えが多かったりで、最初はなかなかうまく行かず、いろいろ対策を考えました。

せっかく久しぶりにメキシコまで行くので、高校時代にホームステイをして以来ずっと付き合いのあるアメリカ人の親のところにも顔を出したい、という気持ちもあり、なかなか決められませんでした。
が、あれこれとネット・サーフィンをしていて見つけたDeNAトラベルの周遊券にすれば、値段が跳ね上がることもなく、3都市を周れることが分かり、決定。
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1.成田→L.A.→メキシコシティ (デルタ・アエロメヒコ)
2.メキシコシティ→グアナフアト (アエロメヒコ)
3.グアナフアト→L.A.→ソルトレイクシティ (デルタ)
4.ソルトレークシティー→ポートランド→成田(デルタ)

飛行機のチケットを予約すると、それとセットで頼むという条件で様々なホテルが割引になり、中には、かなり良い部屋が半額になるものもありました。地図で場所を確認したり、ホテルの様子をホームページで確認したりして、ネット上でサクサク決まっていきました。ただ、直接ホテルに連絡を取ったわけでなかったので、空港からの行き方や、出迎えサービスなどの有無の確認をすっかり忘れてしまい、メキシコシティは近いので問題ありませんが、グアナフアトでは、大変なタクシーに出会ってしまいましたが。(詳細は、「グアナフアトに現れた神さま」)

さて、出発の3日程前にDeNAトラベルから、旅行手続きに関しての注意がメールで送られてきました。そこで、うっかり読み飛ばしていたことが一件。安易に斜め読みをして、自分は関係ないと思った手続きが一つありました。
スーツケースは宅急便で早めに成田に送り、出発は夕方17時20分だったので、午前中に普通列車を乗り継いで行っても大丈夫と余裕をかましていた出発前夜。

もう一度、DeNAトラベルからのメールを確認しようと、今度はもう少し丁寧に読んでみて真っ青。
アメリカに入国するためには、ESTAという書類を入手しなくてはならない、それも3日前までに申請せよ、とありました。ESTAがないと搭乗できないと。

3日前って、もう出発は明日。十分に動揺しながらも、とりあえず手続きをしてみることにしました。アメリカのページに入り、時々失敗してやり直しながらも指示通りに入力を進めると、最後に14ドル支払えと。クレジットカードで、手続きを進めましたが、入力がうまく行かず、絶望的に。それでも、ここで放り出すわけにも行かず、最初の入力からやり直し、ついに送金まで成功。「認証は承認されました」というページが現れました。それでも、入国地で最終的な判定が下される、と書いてありました。あまりにもギリギリに手続きをしたので、税関を通るまでは少し不安でしたが、成田では、書類のコピーを見せるまでもなく、手続きをしたの一言でスルーでした。
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そうです、飛行機のe-ticketなども、書類のコピーを提示して搭乗券を受け取るようにと書いてありますが、一度も見せる必要はありませんでした。

昼過ぎには成田に着いてしまいましたが、荷物到着の遅れという理由で、17:20のフライトは19時に変更。更に成田が混雑とやらで実際に飛んだのは19:35頃でした。その上、飛行機が飛んですぐに乗客に病人、「お医者様がおられましたら、キャビンアテンダントまで」という放送を初めて直に聞きました。ただ、成田で出入国フォームの記入が一切なくなっていたのは少し手続きが簡略化された良い変更でした。
LAに到着すると、まずはparamedicsを待って病人を先に降ろします、ということで更に遅れ、次の飛行機への乗り換えに1時間半くらいしかなく、少しずつ焦り始めました。

が、入国審査の行列で、浮かれた高校生の集団に先を越されたりして、やっと前列まで出たところで、「私乗り換えなんだけど、大丈夫?」と係りの人に訪ねると、「こっちにどうぞ」とロープを外し優先的に進むことができました。そこでコンピュータでエスタの手続きをするのです。いくつか入力して、写真と指紋を取られました。ここには手伝ってくれる人がいたので、スムーズでしたが、まだ荷物の手続きも、ターミナルを移動もあるしで、安心はできません。入国審査の人は "No problem."(大丈夫)と言ってくれましたが・・・

指示通りに早足で進み、スーツケースを受け取り、更に進むと、待ち構えていた黒人の係員が、一目見て、
「メキシコシティ行きだね。」と一瞬でスーツケースをベルトコンベヤーに乗せると、「ターミナル2へは、歩いても行けるし、無料のシャトルもあるけど・・・」と言いながらチケットの確認をし、突然、
"There is no time. Come with me." (時間ないな、俺について来い。)
と、シャトル乗り場まで連れて行ってくれました。

一応インフォメーションでフロアの確認をしてLevel 3へ。既に搭乗時間は始まっており、ゲートに着いた時にちょうど名前を呼ばれ、ギリギリセーフ。

ところで、アメリカからメキシコに向けて出国する時の税関審査の時は、靴も脱ぎました。靴は大分前からアメリカでは脱がされていましたね。

メキシコに向かう飛行機の中では、customs declaration(関税申告書)を英語・スペイン語の二つの書類に記入させられました。2枚提出というのは初めて。

さて、次の飛行機(メキシコ・シティ→グアナフアト)は国内便。にもかかわらず、2時間前には空港に行くべきだとホテルの人に言われ、7時半にはホテルをチェックアウト。余談ですが、朝の6時から「フレンズ」をスペイン語でやっていました。"Friends"は、世界中で人気みたいですね。

ところが、国内便でも搭乗手続きが厳しく、成田でもL.A.でも見逃されていた電子辞書2台にヴォイス・レコーダーまでトレイの上に出させられ、ボディ・チェックまでありました。今度は出発が5分早まるという番狂わせで、意外に時間の余裕はなく、2時間半ほど前に行っていて良かったです。現地の人の言うことは聞くものですね。ただ、2時間も手続きにかかって乗ったフライト時間はほんの40分でした。

もう、メキシコシティには戻らないんだ、と少し寂しくなりながらも、憧れのグアナフアトに期待をしていたのでした。
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さて、次の移動はもう、メキシコにさようならでした。過ぎればあっと言う間ですが、メチャクチャ充実した1週間で、数十年分を一気に取り戻した気分でした。
グアナフアトのレオン空港は、グアナフアトから1時間くらいのところにありますが、フライト時間は朝の7時半。つまり、5時半には空港に着かなくてはならない。ホテルの車を頼んでいましたが、いつ来るか分からないメキシコ時間が心配でした。前日にもホテルの人に、しつこいほど飛行機の時間を伝え、朝5時にフロントに私が電話をするという手はずになっていました。

その日は朝4時起きで、5時に電話。ところがいくら待っても電話に出てくれません。そう、フロントまでは3階分登らないと行けないのです。仕方がない、様子を見にいこうか、と思った時に、ノックの音が。フロントではなく、運転手と一緒にしばらく前から、駐車場にいたのだそうです。

まだ町中にオレンジ色の光がきらめく中、美しいグアナフアトを後にしました。
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空港に着いて何も考えずにアエロメヒコに並んでいたら、デルタは隣、と分かり、並びなおし。前方に日本人らしき年配の男性が永遠に訳の分からない交渉をしていて、全く進まない。やっと順番が来た、と思ったら、なんと、L.A.行きのフライトがキャンセルになったので、アトランタ乗り換えでソルトレークシティーに行けと言われました。デルタからのお詫びに、上階のレストランの朝食券をもらいましたが、レストランは閉鎖中。インディオ風のおじいさんも同じくチケットを持って、ウロウロ。場所を確認しようと2度ほど上がったり下がったりしましたが、搭乗時間まで1時間もなかったので、朝食券はあきらめ、出国の手続きをしてしまいました。ここでも、パソコン、電子辞書などの電子機器や来ていたジャケット、リュック、ウエストポーチ、そして靴など、それぞれのトレイに乗せて・・・直前に飲んでいたペットボトルはアッサリ没収されました。

さあて、ここからは正式にアメリカですが、午後の1時半頃ユタ州ソルトレークシティーに到着の予定で、「駐車場で待っているから着いたら電話しなさい」と言われていたのに、アトランタ乗り換えに変更になったので、到着時刻は夜の7時5分。家まで電車で行くと3時間もかかるようだったので、もう家を出たに違いない、どうやって連絡をしようか????と、携帯番号をメールで聞いていたことをすっかり忘れパニックになっていました。とはいえ、その飛行機からは電話もできず、しょうがない。とこの話はまた別の記事に書くことにして、アメリカ再入国の手続きはアトランタになりました。

最初にL.A.で入国審査を待っている間、"Second ESTA?"と言って周っている係員がいました。セカンド・エスタの人は、あっちの空いているところで機械で処理できるから並ばなくて良い、と言ってましたが、私は初めてたっだので、長い列に並んでいたわけです。

今度は間違いなくセカンド・エスタなので、比較的あっさりとコンピュータの並ぶところに通され、自分で入力して進んだと思います。思います、というのは、出入国審査をする場所は写真撮影禁止になっているので、微妙にあちこちのものがごちゃごちゃになってしまっているのです。また、ここでいくつかの情報を入力し、指紋などを取られました。ただ、メキシコと違ったのは、アトランタでは、持っていたペットボトルを即没収ではなく、「飲み干したかったら、あそこで飲んでおいで」という一言がありました。メキシコからアメリカに来てホッとした瞬間の一つでした。

そうです。このエスタが今回の新しい手続きでした。
成田に行く前に、ESTAの書類手続きを済ませ、14ドル支払っておくこと。これは2年間有効なので、今回は2度のアメリカ入国に使えました。また、更に入国審査をする前に、コンピュータに必要事項を入力し、指紋を取られます。写真も取られたと思いますが、記憶に自信がありません。

そして、アトランタからソルトレークシティーへの国内便でも機内持ち込み荷物のチェックは細かく、靴も含み5つくらいのトレイでエックス線チェックがなされ、女性の係員に全身ボディチェックを受けました。

その後のアメリカでの珍道中は別の記事に譲りますが、残りはソルトレークシティーから、オレゴン州のポートランドまで国内便で行き、成田行きに搭乗。ソルトレークシティーでは、コンピュータでチェックイン、いくつか分からないことはありましたが、誰も係りの人がいなかったので、適当に進めたら何とかなり、そこでプリントアウトされたペラペラのチケットを持って荷物を預けに。その場でパスポートを見せ、すぐに出発ゲートへと、いたって簡単でした。

ただ、ポートランドで、成田行きの搭乗時刻が12時10分なのに、到着したのは12時24分。出発は13時5分とはいえ、次のフライトの搭乗時刻より遅くその空港に到着というのは初体験で、かなり冷や汗ものでした。この時ばかりは、荷物の受け取りは必要ありませんでした。

昔は、最終目的地で荷物を受け取っていましたが、そのせいで間違いも起こり、マイアミからシカゴ乗り換えでサン・フランシスコという国内便に乗ったにも関わらず、荷物だけがカナダに行ってしまったことがありました。国を越えたせいか、関税手続きなんちゃらでトロントからいったん荷物はL.A.に運ばれ、それからサン・フランシスコ、そして自宅(当時アメリカの親が住んでいたサクラメントの近く)まで運ばれてくるのに、数日かかった記憶があります。

ESTAなどの手続き、X線による荷物検査は一段と厳しくなる一方のアメリカ大陸でした。この旅の後で、ベルギーのテロ事件が起きていますから、また更に厳しくなるかもしれませんね。

とにかく、アメリカに入国する場合は、ESTAを忘れてはいけません!
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メキシコ料理(La comida mexicana) [旅]

メキシコ料理と言うと、多くの人がタコスを思い浮かべるでしょう。
トウモロコシ粉で作ったトルティーヤに何かを包めば全てタコスです。(日本やアメリカで売っているのは小麦粉のものが殆ど) アメリカ発で箱売りしているトルティーヤは固いものですが、本来は薄くて柔らかく、市場などで山積みして売っています。それを家で焼いて、布きんに包まれたホッカホカのトルティーヤが食卓に置かれます。何かを包んでタコスとして食べても良いし、そのままクルクル丸めたものを片手に、もう一つの手にはフォークで他の料理を、というスタイルは家庭での定番と言えるでしょう。
(ちなみに、スペインでトルティーヤと言うと、オムレツが出てきます。)

このトルティーヤを使った料理がたくさんあるわけです。ケサディーヤ、エンチラダ、トスターダ・・・
旅行の初日、メキシコ・シティには夜到着したので、メキシコらしく軽い夕食をホテルのレストランで取ることにしました。メキシコでは、スペインの習慣にならい、1日の主要な食事は日本のように夜ではなく昼食で、午後2時頃に取ります。昔なら、2時間くらいかけてゆっくりと昼食を取り、その後はシエスタ(昼寝)の時間、そしてもう一活動してから、夜の9時、10時、または11時頃に軽く夕食を取ったようですが、今は昼寝の習慣はあまりないようです。

さて、ホテルに着き、夜の9時も過ぎていたので、軽く、と思い、ビールとSopa de Tortilla(トルティーヤ・スープ)を頼みました。すると、ははは、こんなに!
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トルティーヤ・チップス、パン、クラッカー、ライムは、頼まなくても出てきます。Salsa picante(チレ・ソース)は、出てこない時もありますが、頼めば必ず無料で出してくれます。実は正式にトルティーヤ・スープを頼んだのは初めてでしたが、これは、以前に写真で見ていたのよりもずっと豪華です。アボカド、チーズ、チレ、チチャロン(豚の皮のから揚げ)などが、別のお更に盛られていて、お好みでスープに入れて食べます。

メキシコシティの夜景を見ながらのこの食事だけで、もう超絶幸せな気分で、気づくと
「ああ、幸せ!」
と繰り返し言っていました。

ホテルでの夜のレストランは、スペインもそうでしたが、混んでいることはあまりないようです。なので、気兼ねなく担当のウェイトレスに「メキシコは素晴らしい」という話をしていたら、今度はシェフが挨拶に来てくれました。大満足のメキシコの夜でした。
ホテルの朝食は大当たり!メキシコ料理満載のビュッフェでした。前回ソカロの伝統的なホテルに泊まった時は、食事にあまりメキシコの典型的な料理が多くなかったのです。様々なフルーツ、メキシコ料理にはつきものの辛いソースやフリホーレス(チレの入った豆料理で、)が並んでいるだけで、またも「幸せ!」と言っていました。
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メキシコの朝食では、マンゴーなど果物が中心の家庭が多いです。ここにはマンゴーはもちろん、スイカ、メロン、オレンジ、パインなどがどっさり並んでいました。果汁100%のスイカジュースは嬉しかったです。
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卵料理は若いシェフがその場で注文通りに作ってくれるので、混んでいる時は行列待ちになります。一番人気のオムレツの具は、チーズ、玉ねぎ、マッシュルーム、トマト、ハム、そしてノパルから選びます。ノパルというのは、ウチワサボテンのことです。そうです、メキシコではノパルというウチワサボテンを食べるのです。軽い食感が心地良い野菜、という感じで、身体にも良いらしく、医師が薦めることもあるようです。全部入れてほしいと言うと、笑顔で作ってくれました。
6.2朝食2.jpg なお、メキシコは水があまり良くないので、歯を磨くにも蒸留水を使います。日本はあまりにも清潔に保たれているので、特に日本人は少しのばい菌にも弱いかもしれません。メキシコのような第三国では、特に水に気をつける必要があります。つまり、外国人などあまり来ないような場所のレストランで出される野菜サラダとか、道端で売られているアイスキャンデーなどには手を出さない方が良いでしょう。さすがに現地の人も水道の水は飲みませんが、水道数で洗った野菜くらいは慣れていれば大丈夫なようです。 その点、メキシコシティのような大都会のホテルでは外国人観光客向けに、野菜などはきちんと消毒してあるので安心です。このホテルでも、毎日たくさんのサラダを食べましたが、全く問題ありませんでした。
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グアナフアトのホテルでは事情が大分違いました。バルコニーに繋がった食堂は、朝食しか開業しておらず、他の時間に食事がしたい時は、メニューから注文すると、提携しているレストランからボーイが運んできます。食事する場所は自由に選べ、食堂、バルコニー、または自分の部屋でも構いません。発泡スチロールの容器で来るのが玉に瑕ですが、相変わらず食べきれない量で、スープまでしっかりと運ばれてきました。

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ただ、普通のルームサービスとは違い、さすがメキシコの田舎!思いっきりメキシコ時間、つまり、20~30分と言われても2時間くらい平気でかかります。これは、ホテルのチョフェル(運転手)をお願いした時も同じでした。大都会はともかく、メキシコでは何かを頼んだ時は、いつ来るか分からない、という気持ちで待った方が良いです。
それでも、大騒ぎで到着した日の夕方は、バルコニーで景色を眺めながら、のんびりと貸し切り状態で出前のトルティーヤ・スープにチキンとサラダを満喫しました。
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さて、朝だけ開業するホテルの朝食は、メキシコシティのホテルとは違い、コンチネンタル・ブレックファースト。フルーツ又はフルーツジュースとパンだけ、後はお金がかかります。でも、メキシコのパンはいつも美味しく、普段なら1枚以上食べないトーストを2枚ともぺろりと食べてしまいました。また、フルーツを選ぶと、メロン、パイン、そしてマンゴーの山盛り。メキシコの朝食はやはり、フルーツ満載なのです。
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そこに、牛乳を追加で注文。すると、背の高い円筒形のグラスに並々と注がれたミルクが運ばれてきました。そう、確かメキシコから乗った飛行機でワインを頼んだ時も、大きめのプラスティック・カップに並々と注がれてきた上、「お代わりは?」とまで聞かれ、嬉しくなり、つい飲み過ぎた記憶があります。
メキシコ最終日の朝食は、せっかくなので、メキシコ料理(フリホーレスやタコス)を追加注文すると、やはり大きなお更に山と料理が運ばれ、朝から超満腹でした。

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さて、グアナフアトの有名なイダルゴ市場のいくつかの入口には、屋台もたくさん並んでいましたが、久しぶりのメキシコで食べておきたかったマヤ民族の食事タマルの屋台を見つけ、歩きながらのおやつ。タマルというのは、トウモロコシ粉でできたチマキのようなものですが、ピンク色の甘いタマルとサルサ・ベルデ(緑色のチリソース)を昔、クエルナバカで時々食べていました。私が選んだのはもちろん辛い方。

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んんんん、久しぶりに食べて、、、とりあえず、食べたことに満足です。

もう一つ、どうしても食べたかったメキシコ料理がありました。ポソレというスープで、中にジャイアント・コーンが入っています。チキンやポークなど好みの肉のポソレを選び、様々なチレを入れて食べる、というもの。
私が初めてメキシコに行った時、初日に参加した学校のエクスクルシオン(日帰り旅行)の帰りに食べた思い出の料理ですが、当時はあちらこちらにポソレリアといって、ポソレ専門の小さなレストランがありました。レストランと言っても、屋根の下にテーブルとイスを置いただけの簡単なものが道路わきにあったのを覚えています。
今はポソレリアも大分減ったようです。

最初に見つけたポソレは、グアナフアト中心部のラ・ウニオン公園脇にあるホテルのレストランでしたが、ポソレは夜7時以降と言われ断念(まだ5時だったので)。最終日に、さんざん歩き回っているうちに、かわいらしい「Casa Ofelia カサ・オフェリア」というレストランを見つけ覗いてみると、ポソレもあるというので、入ってみました。
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中に入ると、とにかく配色が鮮やかで、それだけで楽しくなるようなレストランでした。
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ここで頼んだポソレが、今回のメキシコで私にとって一番の絶品料理でした。昔の記憶にあるポソレとはまるで違い、まずサービスでトルティーヤ・チップス、チレソース、ライムが来るのは当たり前としても、巨大な器に入ったスープの他に、レタスなどの野菜の山盛り、トスタダ(トルティーヤのトースト)、そして玉ねぎに加え数種類の玉ねぎにチレ。ますはその大きさに驚きましたが、あまりに美味しかったので、このスープ、おいしく全部いただきました。スープにレタスや紫キャベツなどの生野菜まで入れるのは初めてでしたが、それがまた一層このポソレを美味しくしていました。
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ここのオーナーも、私がスペイン語を話すと知ると、喜んでしばらくの間お喋りしてくれました。ポソレは、各家、各店によって皆違うんだ、とか、一本向こうの道のレストランのポソレは全然違う、とか。日本に帰ったら、ぜひこのお店のことをブログで紹介すると言うと、名刺をくれました。
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ポソレリアというわけではありませんが、この店のポソレ、強力にお勧めです。

一つだけ注意したいのは、テーブルがあまりに鮮やかな青色に塗ってあり、汗ばんだ手を乗せていたら、その青色が手についてしまったということ。すぐにナプキンを敷きました。これもメキシコならでわの笑えるところです。

その他には、メキシコシティで日中ホテルに戻って頼んだエンチラダ。
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初日にソチミルコのトラヒネラ(ボート)で皆でそれぞれ頼んだのは、ケサディーヤに名物の焼トウモロコシ全部乗せ。このトウモロコシは、実は味がしませんでした。他に、アロス・コン・ポヨ(チキン・ライス)、エンチラダ。
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メキシコ最後の夜は、朝に昼に散々食べた後だったので、サラダとビール。ちなみに、メキシコのビールというと、日本でもコロナが出てくるので、ビールしかない時は毎度Victoriaを飲んでいました。

スペインでのように赤ワインが欲しかったのですが、今回はメキシコシティ、グアナフアト、どちらのホテルにもワインは置いてなく、外で買うしかありませんでした。OXXO(オクソ)というコンビニが数件あり、そこでのみ買えました。それはとにかくとして、メキシコでのメキシコ料理にハズレはありませんでした。その上、常に食べきれないほどの量が運ばれてくるので、メキシコが世界一の肥満大国になってしまったのもウナヅケル気がします。ただ、お隣の国に比べると、若者はそんなに太っていないような気が・・・

ちなみに、スペイン語で美味しい!は、
¡Qué rico!又は !Qué sabroso!  ケ リコ!ケ サブロソ!
Muy bien. ムイ ビエン!でもOKです。
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グアナフアトの仮装行列estudiantina [旅]

Estudiantina1.jpgEstudiantina(エストゥディアンティーナ)の元は、スペインのTuna(トゥナ)を真似たものです。

昔の学生に扮して、楽器演奏と共に歌いながら街を練り歩くというもの。ただ、マリアチスのような華やかな音楽とは違っていました。グアナフアトでは、週に2度おほど催されていました。集合時間は夜8時45分とかなり遅かったので、夕食の後オレンジ色の光に照らされた美しく安全な街を散歩していました。早い時間から、昔の学生の衣装を着た男性達がウロウロしていて、カメラを向けると、笑顔でポーズをとってくれます。歩いているうちに道に迷って、集合場所のフアナ劇場前にたどり着いた頃には、既に始まっていました。

企画としては、街を歌いながら、練り歩き、ところどころで、グアナフアトについて歴史や伝説などが語られる、というもので、この土地を知るためには、楽しいアイディアだと思いましたが・・・
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参加者を巻き込みながら、歌ったり踊ったりが始まり、出身地などが質問されます。またもアジアからは私一人でした。YO, JAPON(私は日本だよ)と元気よく言ったものの、メキシコシティでのツアーとは訳が違い、私以外はほぼ全員スペイン語圏の人達だった上、基本的にamor、愛を語るという土台がこのイベントにあったので、変わった経験ができたのは良かったですが、この場合の一人参加では、特に外国では人見知りのない私でも馴染みにくかったです。恋人同士で参加するのが一番楽しいでしょうが、「はい、ここで抱き合って!」「はい、ここでキスして!」ということが、当たり前に指示されるラテンの世界ということは知っていた方が良いかも知れません。
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途中でとっくりが曲がったような変わった形の瀬戸物が渡され、オレンジジュースが注がれ、飲みながら歩きました。
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後半では男性が、それぞれ自分の彼女や奥さんに花を渡すというイベントも設定されていて、「一人参加の人も心配しないで大丈夫!」と語りの男性が叫んではいましたが、何が起きるわけでもなく、周りでカップル達が愛を確かめあうのを見ているだけ、で正直なところ、一気に興ざめしてしまいました。

フィナーレは、Callejón del beso (口づけの小道)で、一番狭い通りは68センチしかありません。両脇の家からキスができる程狭い通り、ということでこの名がつけられました。ここには、親に反対されているある若い恋人同士の伝説があり、参加者からあるカップルが選ばれ、指示に従って、即興で芝居をさせられていました。
「ここでは軽いキス」
「はい、じゃあ今度は激しくディープ・キス」
カップルは言われた通りにしますが、ここでは解説者が二人を隠して皆の笑いをそそっていました。
伝説では、二人の恋愛に反対していた女性の父親が、結果的に娘を刺してしまう、という悲劇で終わります。

エストゥディアンティーナは、ラ・ウニオン公園のInformationで薦められて参加してみましたが、滅多にないユニークな体験でした。メキシコ人の彼氏とでも参加できたら、最高に楽しいのだろうな、と思います。

これも体験!

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メキシコで一番美しい都市グアナフアト2 [旅]

グアナフアト (Guanajuato)は16世紀まではインディオのオトミ族が暮らしていた地域で、グアナフアトという語はプレペチャ語で「山が多く険しいカエルの地」という意味だそうです。カエルは一匹も見ませんでしたが、登ったり降りたりの山歩きが日常です。
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その急斜面に並ぶ色とりどりの建物からなる美しい景色が、この都市の特徴ですが、町全体を見下ろす一番のポイントは、ピピラの丘です。ここに聳え立つピピラ像は、スペインから独立するために中心となって戦った鉱夫を記念して1939年に建てられました。中心のウニオン公園の手前にあるフアナ劇場裏にあったケーブルは既に取り壊されたので、Pípila行きのバスに乗るか、頑張って歩いて登るか。私は結局タクシーを使いましたが、40~50ペソ程度。300円内で行けます。
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ピピラ像の裏側から中に入ると(10ペソ・60円)、狭い階段を上り、最後の梯子を上りきると、3人くらいで満員になる小さなサンルームのようなところに出ます。
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銅像の背中辺りから街を見下ろすことができますが、暑いし狭いので、次の人が来たらすぐに交代。長居できるところではありませんでした。でも、像の下に展望スペースが広くあり、ここからの景色は絶景でした。

景色が売りになっている私の宿泊したホテルも同じくらいの高さにあったので、部屋から絶景を眺めていられましたが、街の全体像が最も美しく見えるのは、この展望台だと思います。(展望台と言っても入場料はありません。)

その他、見ておきたいグアナフアトの観光スポットは、グアナフアト大学です。街中に目立つバシリカを更に上に登って行くと現れますが、白い外壁が芸術的に美しく、夜、オレンジ色の光に照らされると、また別の美しさが現れます。
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観光する際の目印となるフアレス通りをウニオン公園から街の反対側まで歩くと、イダルゴ市場があります。市場の周りにも屋台などのお店がたくさん出ていて賑やかなところです。現地の人用の生活用品、食品からお土産品まで、所狭しと並べられています。メキシコを味わうためには、一通り見てみるのも良いでしょう。

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グアナフアトに現れた神さま [旅]

結果として、この旅で一番のイベントとなったのは、メキシコ人でも皆びっくり仰天した話です。

旅の目的だったグアナフアトに着き、メキシコ・シティと同じ感覚で空港のタクシー・カウンターで支払いを済ませ(520ペソ=3,120円)、普通にタクシーに乗りました。空港はグアナフアトではなくレオンという近くの都市にあるので、1時間近くはかかりますが、バスはないのです。グアナフアトには無事に着きました。ところが、運転手はホテルの場所が全く見つけられずに、細くて曲がりくねった道を何度もグルグル回り始めたのです。そして、どこかに電話をしたり、そこら辺にいる人達に聞いたりし始めました。料金は支払い済みなので、値段が跳ね上がることはないなあ、などと能天気な気持ちで運転手任せにしていたところ・・・
先の見えない急な坂道、それも石畳のデコボコの坂道の下で降ろされてしまいました。
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「ホテルはこの上にあるらしいんだけど、車は行けないから、アディオス!」
運転手はそう言うと、そそくさと逃げていきました。

その時私は、後に男性でも重いと言ったスーツケースとキャリーケースの2つを抱えていました。平らな道でも運ぶのが大変な量でした。それでも、その時の私には何の感情もなく、ホテルに行くことしか考えていませんでした。

スーツケースを一つ持って5m登り、
同じ道を下り、今度はキャリーケースを引っ張って5m登る、
これを続ければいつか着くだろう・・・

少し登ると、上から3人のメキシコ人女性が下りて来たので、近くにホテルがあるかどうか聞いてみました。彼女たちは知りませんでしたが、大荷物を一つずつ運んでいる私を見て、そこら辺の家を何軒かノックし、ホテルの場所を聞いてくれました。そして申し訳なさそうに、「ずっと上だって」と。本当に申し訳ないという顔をしていましたが、あの急なデコボコ道と2つのスーツケースでは、女性ではどうにも手伝える状況ではありませんでした。
「これも旅のうち!」
と、引き続き5mずつ、登ったり下りたりして進んでいきました。それでも、悲惨な気持ちはなく、頭の中には何かに助けられるという確信がなぜかありました。

そのようにして登り続けていると、「手伝おうか!?」という神の声!
神の声の正体は、ブライアンという家族連れのアメリカ人男性でした。
「Thank youuuuuuu!」
と私が言うと、彼はその重たいスーツケースを肩に担ぎ、歩き始めました。奥様のスコッティは私の話し相手となり、「信じられない、なんて意地悪で酷い運転手」と慰めてくれていました。
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登っても登っても先の見えない坂を休憩しながら80mは登ると、やっと車道に出ました。そこで会ったアメリカ人観光客は、
「ええ?もちろん、そのホテルは車で行けるわよ。もう少し上だけど」と。
それでスコッティが先にホテルを探しに行き、ホテルの人たちに話をしてきてくれました。びっくりしたホテルマンが手伝いに来てくれましたが、そこまで登るのは、手ぶらでも大変な、本当に急で歩きにくいデコボコ坂でした。ブライアンはスーツケースを上まで担ぐと、下りて来て、今度はゼエゼエ言っている私のキャリーケースも運んでくれました。

果てしなく見晴らしの良いホテルの駐車場に到着した時は、正に登山で山頂を制覇したような達成感がありました。こんな凄い坂の下で客を見捨てたタクシー運転手に、それも逃げようとしたところを引き留めてまで僅かとはいえチップを渡したことを考えると腹が立ちますが、お蔭で素晴らしい友人ができたと思うと、その運転手がカルマを背負って、私達を引き合わせてくれたのだ、とも思います。
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ブライアンの神対応は、目に見えない力が働いたとしか思えませんでした。この一件で、本当に大変なことが起きても、前向きな気持ちでいれば必ず助けられるのだ、と確信し、未来のことも心配しないで良いかも、と思えるようになりました。有難く、凄い経験でした。

ブライアン一家は、数カ月おきに様々なところに住むという生活スタイルをとっていて、その時は隣町のSan Miguel de Allende(サン・ミゲル・デ・アジェンデ)市在住で、たまたまグアナフアトに遊びに来たのだそうです。以前京都で日本人に助けてもらったから恩返しがしたかった、などと言っていました。近く、日本にも住む予定だとか。恩返しと言うにはまるで釣り合わない重労働だったと思いますが、後にメールで、運動不足だったから丁度良かったので気にしないように、と何度も言ってくれました。徹底した神対応は見習いたいところです。

一方でスコッティは、その日のうちにこの出来事のことをフェイスブックに載せていました。(以下引用と訳)

Brian Lee Elliott 's good deed for today...carried a woman's suitcase up a HUGE hill to her hotel. Taxi driver dropped her at the bottom & basically said "good luck with that"! She was super grateful[わーい(嬉しい顔)]
(今日あったブライアン・リー・エリオットの素晴らしい行い・・・ある女性の宿泊するホテルまで、とてつもない坂道で彼女のスーツケースを運んであげたのです。なんと、タクシー・ドライバーは彼女を坂の下で降ろし、軽く言ってのけました。「あとは頑張れよ。」 彼女は心からありがたがっていました。)

素晴らしいコメントがブライアンにたくさん集まったのは言うまでもありません。
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