SSブログ
- | 次の10件

ドン・キホーテがグアナフアトで死んでいた!? [旅]

Quixote5.jpg

最近はドン・キホーテと言うと、「あの激安殿堂の?」と聞かれることが増えましたが、
世界最高の文学とも評されるセルバンテスの『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』は、騎士道物語を読みすぎたせいで自分のことを騎士だと思い込み旅に出て、様々な珍道中を繰り広げる物語ですね。風車を巨人だと思い込み突進していくエピソードが最も知られているかと思いますが、エンディングは一般的にあまり話題になっていない気がします。最後は自分のベッドで正気に戻って死ぬ、と書かれているはずなのですが・・・

グアナフアトの美しい街並みを歩いていると、ところどころにドン・キホーテの像に出会います。
Quixote.jpg


なぜメキシコでドン・キホーテ?と不思議に思いながらも、あまり気にせずに歩いていると、こんなものが!
Quixote2.jpg

(私の解釈では)
「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの信じられない埋葬について・・・この彫像の下には、墓の様なというわけではないが、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャのグアナフアト版が横たわっている。そこには、ドン・キホーテがこの地に埋葬されたという言明があるが、(その作者は)決して嘘をつかないであろう。」

どうやらグアナフアト版という特別バージョン、つまりセルバンテス作ではないドン・キホーテの贋作の一つが、ここグアナフアトを舞台にしたようです。ドン・キホーテはスペイン語圏の文学作品の中では絶対的に頂点に聳え立つ古典なので、全てのスペイン語話者にとって重要な作品なのですね。

そのようなことを考えていると、目の前にMuseo Iconográfico del Quijote (ドン・キホーテ肖像博物館)が現れたので、入ってみました。
Quixote9.jpg

中には、メキシコというよりスペインのムードが漂っており、ピカソなどの巨匠を含む絵画や彫刻、陶器など様々なドン・キホーテが飾られていました。

Quixote8.jpg



後にラテンアメリカで最も重要な文化祭の一つとなるFestival Internacional Cervantino(国際セルバンテス・フェスティバル)は、1972年にグアナフアトで始まりました。毎年、芝居、舞踊、音楽、文学、造形芸術などの芸術作品が披露され、世界中からたくさんの人々が訪れ、あのメキシコを代表するノーベル賞詩人オクタビオ・パスも毎年参加していたそうです。このような国際文化祭にもドン・キホーテの生みの親セルバンテスの名が冠されているところに、グアナフアトの人々のドン・キホーテへの想いが伝わってくる気がしました。
Quixote4.jpg


ちなみに、『ドン・キホーテ』は様々な和訳が出ていますので、少しだけ紹介しておきます。
しっかりと読みたい方はこちら。



簡単な日本語でさらっと読みたい方はこちら。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ミイラ博物館(グアナフアト) [旅]

メキシコで一番美しい都市と言われるグアナフアトで、最初に行ったのはミイラ博物館(Momia)でした。
letra.jpg
生と死を相反するものとはとらえない、生と死は表裏一体であるという考えから、メキシコでは「死」が不吉なものではありません。アメリカ合衆国ではハロウィーンで賑わう頃、メキシコ合衆国では死者の日が盛大に催されます。死んだ者が帰って来る日という意味では、日本のお盆に当たりますが、色鮮やかなドクロの砂糖菓子や骸骨の人形などが、オレンジ色のマリゴールドと共に華やかに並びます。

死者の日とは関係ありませんが、100体以上のミイラが並ぶグアナフアトのミイラ博物館は、観光客なら誰もが訪れる主要な観光スポットです。

街の中心部から少し離れた小高い場所にあり、歩いていくのはちょっとキツそうだったので、ホテルの専属運転手にタクシー代を払い、連れていってもらいました。街の中心を通るフアレス通りにあるイダルゴ市場(Hidalgo)の前からバスでも行けます(6ペソ=36円)。タクシーでも40~50ペソ(300円弱)くらいです。ちなみに、グアナフアトでは、だいたいタクシーでどこに行くにもこのくらいの料金で行くことができます。また、グアナフアトのタクシーは安全で、ぼったくりなどはないので、安心してどこからでも乗れますが、タクシー乗り場もいくつかあります。
MM1.jpg


あっさりした外観の建物のチケット売り場で入場券(56ペソ)を買い、入口へ。写真が撮りたい場合はプラス10ペソでしたが、既に入場してからこの質問をしたので、結局は全部見て写真も撮ってから払いに行くことにしました。それでも全く問題がなかった、という緩さもメキシコの良いところです。

MM2.jpg

最初のミイラを目の前にした時は流石に少しぞっとしました。代表的なこのミイラは、1865年に発掘された最初のミイラで、医師だったのだそうです。気づくと後ろからガイド付きの団体が来たので、何となく一緒に行動を共にして、解説も聞くことができました。博物館中ミイラなので、出る頃にはすっかりミイラ慣れしてしまいました。死者が目の前にいる、という感覚は全くなく、その場の雰囲気も特に気味悪いものではありませんでした。

MM4.jpg

この博物館のミイラは皆一般人だそうです。特別にミイラにしようとしたのではなく、この土地の鉱物の性質によって、埋めてあった遺体が自然とミイラになったのだそうです。先ほどの医師ミイラ発見の後次々と発掘を行い、1870年からこのミイラ博物館に展示されるようになりました。
MM3.jpg

全部で119体(女性79、男性21、子供19)飾られている中には世界最少のミイラもありました。母娘揃いのミイラも展示されていたり、ガイドは一体一体のミイラについて、かなり詳しく説明していました。

MM7.jpg


外に出ると、お店がいくつか並んでいて、名物のミイラ飴などが売っていました。大小様々なミイラ飴が売っていましたが、意外と繊細な作りなので、大きいものは次にアメリカに行った時には、かなりバラバラに壊れてしまいました。小さ目の方が丈夫でしたが、気を付けた割には3割くらいのミイラの首が折れていました。
Elena21.jpg
健康なミイラは、アメリカで一体一体プチプチに包んで郵送し、無事に届き、珍しいお土産として喜んでもらえました。
MM8-2.jpg

お店も長居できるほど大きくはないので、そこら辺に座ってバス待ち。10分くらいで中心部行きの小さなバス(コンビ)が来て、イダルゴ市場まで戻りました。ちなみに、街の中心部に行きたい時は、運転手に向かって、

"¿Al centro?" (アル セントロ?(街行き?)
の一言で確認できます。

bus.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

メキシコで一番美しい都市グアナフアト1 [旅]

今回の旅の目的は、
メキシコで一番美しい都市と言われているグアナフアトを自分の目で確かめることでした。

Pipila9.jpg

グアナフアトは、メキシコシティから飛行機でわずか1時間弱(バスだと5時間かかります。)のところにある植民都市です。メキシコシティの空港でエアロメヒコに乗るには国内便も国際便も一緒のターミナルです。
toGTO2.jpg


そこで目を引いたお菓子の店、これは正にメキシコの色!
toGTO5.jpg


そして空港内にも壁画が見られます。
toGTO4.jpg


どこに行っても鮮やかな色やちょっと不思議なアートなどに目を奪われながら、飛行機に乗って1時間弱赤茶色の大都会からどんどん景色がほぼ茶色だけになり、小さな空港に着き、そこからタクシーで1時間弱(?)で、グアナフアトの街に到着です。

グアナフアトにはスペインの植民地だった頃の様子がそのまま残っていて、都市全体が世界遺産に指定されています。その美しさの特徴は、急な坂にびっしりと並ぶ家々のピンクや黄色などの屋根が鮮やかな色であること。
街の中央には黄色と赤のバシリカ(教会堂)が際立っています。

Basilica.jpg


バシリカを下ると街の中央のJardín de la unión(ラ・ウニオン公園)が憩いの場となっていますが、この公園は、中央が生垣でできた屋根に囲まれていて、その中央にはステージがあり、週に何度か演奏が行われます。その周りや、至るところにベンチがあり、キオスクのようなお店やInformationがあります。街の反対側のHidalgo(イダルゴ)市場近くにもInformationがありますが、見つけにくいうえ、私が何度行っても閉まっていました。

J de la Union5.jpg


この暗い程の緑の両脇にはレストランやホテルが並び、
人々の流れや、あちらこちらから聞こえてくる演奏を耳にしながら食事をすることができます。
Informationで勧められたエストゥディアンティーナ(後述)に参加するために数時間を潰す必要がありましたが、皆がそれぞれ夕方を楽しんでいる様子で、私もしく過ごすことができました。

運良く演奏が行われる日でしたが、演奏が始まり、一組のカップル踊りだすと、あっと言う間に皆踊りだしました。
その演奏が終わっても、脇のレストランには一日中マリアチスが待機していて、お客さんの希望毎に、テーブル脇で歌と演奏が始まります。この日は、アメリカ人らしい観光客が「ラ・バンバ」を何度もリクエストしていて、大盛り上がりでした。自分がマリアチスを頼まなくても、誰かが頼んでくれるので、この公園にいるだけで、様々な音楽が無料で楽しめてしまいます。

ベンチに座っていれば、声をかけてくれる人が必ずいるのがメキシコなので(スペイン語ですが)、夕方のひと時を心置きなく楽しむことができました。写真のセニョールは、出稼ぎに来ているというアントン、出身はメキシコシティのせいか、グアナフアト特有の訛りもなく、お喋りも弾みました。

J de la Union6.jpg

正直なところ、グアナフアトのスペイン語は、人によってメチャクチャ解りにくい。ホテルの従業員には必ずというほど聞き返していました。英語で言うと、ジャマイカの英語を少し分かる程度にした感じ、一つの文章を短く凝縮して喋るのです。でも、ジャマイカの英語はアメリカ人でも分からないレベルの凝縮度なので、そこまで極端ではありません。(大学一年生の時(アメリカ)、ルームメイトにジャマイカ出身の子がいて、もう一人のアメリカ人のルームメイトに対して、どれだけジャマイカの英語が通じるか試した時の話です。)

ところで、この坂だらけの都市には、エスカレーターもエレベーターもありません。正に、植民時代のまま。ついでに、信号も一つもありません。それでも、全てが問題なくスムーズに動いていて、最後にタクシーの運転手から聞くまでは、信号がなかったことに気づかなかった程です。

昔は地下水道だったところが今は地下道になっており、街の下を縦横無尽に行きかっています。ですから、街の反対側へも、この地下道を通ってあっと言う間に行くことができるのです。
地下道へ.jpg

グアナフアトでは、どこでも皆階段を自分の足で上り下りします。それはホテルや様々な施設も同じで、私の泊まったホテル(絶景が売り物なので坂の上にある)でも、食堂へ行くのに1階上へ、フロントまでは3階分上まで登らなくてはなりませんでした。また、自分の部屋のバルコニーに出るためにも、部屋から直接は出られないので、まず1階分登ってから、1,5階分ほど降りるのです。

石畳の美しい街を散策するにも、かなりアップダウンは激しく、グアナフアトにいた3日半で、脚がシェイプアップされた気がします。皆が声を揃えて、「だから、ここの人間は皆凄く健康なんだ!」と誇らしそうに言っていました。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

ソチミルコとアステカ帝国 [旅]

メキシコシティ観光というと、

宮殿
メトロポリタン大聖堂
テンプロ・マヨール(アステカ王国の遺跡)
国立人類学博物館
テオティワカン遺跡
ソチミルコ

他にも様々な美術館、グアダルーペ寺院、新しいところでラテンアメリカタワー(地上44階)などたくさんありますが、とりあえずは、これらがまずは定番ではないでしょうか?

私にとって、ソチミルコは初めてでした。ボートに乗って食べたり飲んだりする場所という印象だったので、一人で行くのは多少ためらいましたが、ツアーに含まれていたのでラッキー!と。結果としては、メチャクチャ楽しかったので、とてもお勧めです。(ただ、集団で行くかツアーが良いです。)

昔メキシコシティはテスココ湖という湖で、その中の島の一つにテノチティトランという壮大な都市がありました。アステカ帝国の首都です。1519年にスペインのエルナン・コルテスがそこに到着した時は、湖の中に聳え立つ大都市に一同ビックリ仰天だったとか。その時の王、モクテスマは、メキシコで昔から信じられていた神話(いつか海から白い顔をした神が我々を救いにやってくる)を信じていたため、征服者であるコルテス達を神と信じ、大歓迎してしまいました。城に招いて御馳走し、あっさり国を取られてしまったのです。

インディオ達が反撃を試みたりしたものの、1521年にアステカ王国は滅亡します。スペイン勢(キリスト教徒たち)は街を破壊し、その廃墟の上に現在のメキシコシティとなる都市を築きました。20世紀初頭に、昔の城跡が発掘され、今は一部無料で見ることができます。宮殿脇にあるテンプロ・マヨールです。ただ、チャック・モールなど肝心なところは外からでは見えないので、初めての場合は、博物館から見学することをお勧めします。
ちなみに、チャック・モールというのは、いけにえの儀式で心臓を置くお皿を持った少年の像のことです。様々な遺跡で見られます。
m-遺跡.jpg

詳しい話は、歴史家のページに譲るとして、かなり残酷な形で王国を奪われたわけです。明るいイメージのメキシコ人ですが、歴史的なトラウマを今も引きずっていることは、メキシコ中の壁画に見られます。一番代表的なものは宮殿の中にあるディエゴ・リベラによる巨大な壁画でしょう。メキシコの歴史が一つの巨大な壁画に収まっています。

スペイン語表現(hijo de chingada犯された女の息子)にも現れています。つまり、スペインの男性に犯された女の息子→子孫ということで、メキシコ人にとって最大の侮辱に当たるようです。メキシコ人について詳しく知りたい人は、オクタビオ・パスの『孤独の迷宮』を読むと良いでしょう。



数年前までメキシコシティは実に世界一を誇る大都市でした。(今はインドですね。)人口だけでなく、都市部が大きいのです。国際空港が都市の中心部に近いため、夜到着の飛行機から見る夜景は圧巻で、30年も前の話ですが、機内で「うぉおおおおお」という感嘆の声が上がったのを覚えています。

この大都会が500年ほど前は湖だったわけですが、コルテスの征服により、埋め立てられていきました。埋め立て地ゆえに、1986年の地震では大きな被害が出たのです。

そのテスココ湖の名残がソチミルコに残っている、というわけです。
ソチミルコにあるこの観光地は、アステカ時代の唯一の名残、と何度も聞きましたが、要するに湖があり、そこにトラヒネラと呼ばれる派手な屋根付きボートがたくさん、本当にたくさん行きかっている憩いの場所です。

お土産品を売っている様々なトラヒネラ、焼トウモロコシを売っているトラヒネラ、マリアチス(楽隊)が乗っているトラヒネラと、いろいろなトラヒネラが行き来して、楽しいのです。食べ物のオーダーもトラヒネラから行い、しばらくすると運ばれてきます。マリアチスは1曲いくら、という単位で歌をリクエストしますが、隣にトラヒネラを並べて、2艘の間を行ったり来たりして演奏してくれ、大盛り上がりです。
zochi6.jpg


メキシコだなあと笑えたのは、自分たちのトラヒネラに乗るために、他のトラヒネラ2艘くらいの中を渡り継いで行ったということ。船から船へと歩いて渡っていくのは、ちょっとしたアトラクションでした。
zochi1.jpg

金曜の夕方だったこともあり、学校が終わった若者が踊り狂って大騒ぎしているトラヒネラがたくさんいました。中には座り込んでいるマリアチスのボートの横で、ロックをガンガンかけて騒いでいるトラヒネラも・・・若者はどこも同じですね。

昔は、この湖にチナンパと呼ばれる浮島での菜園があったのですが、汚染の原因になるとかで中止になったそうです。ソチミルコで見たいものの一つだったので残念ではありましたが、そんなことが気にならない楽しさでした。

実はソチミルコの前にコヨアカン地区の散策と、映画にもなったフリーダ・カーロ(画家)の家(青の家)の見学をしましたが、写真はあまり撮れませんでした。
フリーダの家.jpg

慌てて出発だったので、携帯の充電器もデジカメも持たず、あっと言う間に携帯は電池切れになりそうだったのです。写真がないと、記憶もやばいので、多くは語れませんが、フリーダの家は、外から見る以上に中は大きくて綺麗でinteresting満載でした。庭の美しいこと!
フリーダは若い時の交通事故で身障者だったので、それを見せつけるかのように、彼女の特殊な全身の装具やコルセットや、特別にあつらえた衣類などが展示してありました。

ところで、コヨアカンというこの地域はまるでマイアミの高級住宅街を思わせる素晴らしいエリアでしたが、名前はコヨーテから来ていて、その意味するところは「ズルいヤツ」。アステカの人々がスペイン人をこう呼んだようです。コルテスがここをヌエバ・エスパニヤ(新スペイン)の首都としたからでしょう。
coyo2.jpg

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

メキシコ国立自治大学は壁画だらけ! [旅]

UNAM8.jpg

この壁画は写真で何度も見ており、自分の出版した教科書にもメキシコ政府提供の写真を載せていましたが、実際に行くのは初めてでした。
「写真で見た通りだな、でも本物を見たぞ。」
という展開になるだろうと思っていましたが・・・

通称ウナムUNAM Universidad Nacional Autonoma de México
ウニベルシダッド・ナシオナル・アウトノマ・デ・メヒコ
メキシコ国立自治大学
UNAM14.jpg

日本人もたくさん留学しているこの大学のキャンパスに行ってみると、予想とは全く違っていました。
UNAM2.jpg

まずはオリンピック・スタジアムの前で車を降りトイレ休憩。面白かったのは、「何時に××で集合!」が全くなかったこと。皆それぞれに、何時までかな?とは言っていたものの、ガイドのアレハンドロはおかまいなし。入った建物の外に全員が何となく集まったら出発!彼は、ホテルでのピックアップの時間には物凄く厳しかったのに、いざツアーが始まると、ゆるキャラに変身でした。
UNAM11.jpg

それでもアレハンドロは、全てをスペイン語と英語で分かりやすく解説してくれ、質問にもきっちりと答えてくれた非常に優秀なガイドでした。
まず驚いたのは、巨大な壁画が一カ所にあるのではなく、至るところに見つかることでした。最も有名なのは図書館の建物の壁全体を覆う壁画ですが、建物のバルコニー部分だけに描かれていたりという部分的に施された壁画もたくさんありました。アレハンドロは、キャンパス内を歩きながら、一つ一つ、その絵の背景や意味を歴史などと絡め詳しく解説してくれました。
UNAM3.jpg

数ある建物には、ディエゴ・リベラやシケイロスというメキシコを誇る壁画家たちの壁画を見ることができます。なかでもガイドの説明で特に驚いたのは、これらの壁画が描かれたのではない、という点でした。全ての色が石の本来の色なのだとか。全てがどうかは確認できませんでしたが、石を砕いて細かくしたもので作ってあるとか言ってました。描いてない、ということを初めて知り、これは本当にびっくりポンでした。
UNAM.jpg

キャンパス内では、普通に学生たちが様々な活動をしていました。こんなキャンパスで勉強できたら、それだけで楽しいだろうなと思いながら、このメキシコ最高の大学を後にしました。
UNAM7.jpg

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

楽しい現地ツアー? [旅]

海外のツアーはもちろん日本からもたくさんありますし、現地でも日本語通訳付きのツアーはあるでしょう。
でも、日本語がなくても良い、という人は現地のツアーに直接参加する方が、確実に安いし、外国を味わえます。日本人向けのツアーは、特に値段設定が高いという話も聞いています。
avion6.jpg
また、個人的な感想を言わせてもらえば、日本からのツアーは特に、免税店やお土産店がたくさん含まれていて、観光より買い物が目的になっている印象を受けます。旅行会社とお店が契約していて、商品が売れればその分会社側にもいくらか入るわけです。お客さんを紹介するのだから、ビジネス的には当たり前かもしれませんが、免税店ばかり連れて行かれてはたまりません。

ミュンヘンとウィーンにツアーで行った時は、三越に連れて行かれました。
例え少しくらい高くても、私は現地の人と話をしながら買い物がしたいので、そういう時はグループから抜けて、街を散策していました。

確かに、旅行社はプロですから、様々な繋がりもあり、多くの場所に簡単に連れて行ってもらえます。
そこで、お勧めなのが先に書いたように、現地のツアーです。特に、その土地が全く分からない初日に、現地のツアーで外観をつかむというのはお勧めです。2~3時間でその都市を回れる簡単なツアーは、大抵どこの都市にもあるはずです。2階建てバスとか、遊園地の乗り物みたいのとか。後は旅行社の日帰りツアーですね。

メキシコの話に戻しましょう。
Mex3.jpg
メキシコシティに関しては、もう何度も行っている場所なので、今回はメキシコ国立自治大学とフリーダ・カーロの家に行ければ良いと思い、電車やバスなどでの行き方を検討していましたが、ちょっと面倒くさい。あと、できればアステカ時代の名残と言えるソチミルコにも行ってみたいけど、ボートに乗って食事をしたりするのに、一人で直接行って大丈夫だろうか…

などと考えていたところ、現地の旅行社Amigo Tour に上の3カ所を1日で周れるツアーがあったのです。日本にいるうちから、ネットで予約を入れておきました。

メキシコ・シティに夜到着した翌日の朝9時からのツアーという強行軍でしたが、旅行にはトラブルが付き物ですから、やりたいことは最初に計画した方が無難です。メールの返事では、10分前には出られるように、ということでした。

朝8時20分頃朝食から部屋に戻り、さて出かける支度を始めようと、バスルームに入ったとたんに電話がなりました。「まさか」と思いながらも「ブエノ?(メキシコでもしもし)」と電話を取ると・・・
「アミーゴ・ツアーです。ツアー予約してますよね?」
「もうですか?」
「はい、もう時間です。」
うそーーーー、内心パニックでした。

「ちなみに、上の2行、スペイン語では両方とも “¿Ya?(ジャ)”(もうですか?) “Sí, ya.(シ、ジャ)”(そう、もう時間です。)二人とも、言葉は「ジャ」だけで、会話が成立します。yaは、既にという意味の言葉ですが、何かを始める時、終わる時の呼びかけと応えの両方にも使えるので覚えておくと便利ですよ。」

彼いわく、「25分前には迎えに行くという確認メールが行ったはずだ。」
そんなメールは来ていません。「10分前と書いてあった」
そんな言い合いをしていても仕方がないので、10分待ってくれと頼みましたが、他の人も待っているから、置いていくと言い出す始末。それでも、5分だけということで交渉成立。大体は用意してあったバッグをつかんでトイレも行かずに降りていきました。会ったところでまたも言い合いになり、証拠メールを見せると、それは最終確認のメールではないとのこと。どうやら、事務方のミスだったようです。

しかし、「時間には非常にルーズなメキシコ人」のはずが、こんなに時間に厳しいとは、メキシコも変わったのかな?とモヤモヤ気分で始まったメキシコ初日でした。

10人乗りくらいのバスに乗っていたのはメキシコ人風の客5,6人。一応「オラ!(こんにちは)」と挨拶しても、何となく待たせたという想いもあり、居心地は今一つ。バスはホテルを巡って観光客を拾っていきますが、しばらく行ったところで、
「テオティワカン行きの人はここで降りて、違うバスに乗り換えてください」
へえ~、面白いことをする、と見ていると、先ほどの全員が降り、車には私一人。
なんだか、変わった展開になってきました。

しばらくすると次々と新たなメンバーが乗ってきて、
それまで全スペイン語だった世界が一気にアメリカになり、
英語とスペイン語という私の大好きな言語だけの空間になりました。アルゼンチンの家族にスウェーデンの夫婦もいました。

¡Yo Japón!(日本もいるよ~)と私はアジア代表。
人種ごちゃまぜ、私の大好きな世界です。
ツアーバス.jpg

最後にピックアップされたのはカナダ人女性。隣の席になりました。彼女も一人参加。
それが、彼女は本当は最初のピックアップで、なんと迎えが7時半に。まだ朝食から部屋に戻ってなかったので、「また来る」とホテルに言い残して置いて行かれたとか。結局最後になったので1時間半待ち。いつ来るのか?本当に来るのか?で1時間半は長いですね~
でも、なるほど。これで、「置いていく」の意味が解りました。
でも彼女もピックアップ時間の連絡はなし。私だけじゃなかった。でも、そのおかげで隣の席になったことには運命的な意味がありそうです。

こんな感じで、あっと言う間に意気投合。私が、
I'm "soltelona (スぺ語でオールドミス、(他人に言ってはいけませんが、自分のことをこう言うと受けます。))"と言うと、
Me too!!!!  きゃはははははは!!

その後二人で喋りたおして、昔からの親友のように1日一緒に楽しみまくったのでした。
NYから一人参加の年配女性が、
「あんたたち二人で参加なの?」
「No,さっき初めて会った」
素敵な出会い、これも一人旅の喜びの一つです。
(一人参加の方が他人と関われる気がします。)

写真はこの日最後のソチミルコ。女性だけに花がプレゼントされました。ソチミルコの話は改めて!
Jennifer.jpg

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

チップの活用法 [旅]

チップの習慣は、特に日本人にとっては頭を悩ませるものですよね。
日本に長く住んでいるメキシコ人の友人も同じことを言ってました(笑)

空港やホテルで荷物運びを手伝ってくれた人には1ドルくらい、レストランでは15~20%、ベッドメイキングは払いたかったらいくらかのコインか1ドルくらい?ドルは大体喜ばれるので、1ドル札をたくさん用意しておくと便利です。ですが、他にもルームサービスや洗濯など、ちょこちょこチップを追加して払っていると家計簿を付ける時思い出すのが大変。

オーストラリアはチップなし、と聞きましたし、フランスはチップ込だから心配ないとか?
でも、オーストリアのレストランではチップが少ないと不満を言われ、アメリカの美容院では完全に払い忘れ、その反動でウィーンの美容院では払い過ぎ?
「日本は給料が高いから、チップなんて必要ないんでしょう?」と言ったのはどこの国の人だったか。ずっしり来る言葉でしたが・・・それでも、チップなんて面倒くさい!

ところが、今回その考えがガラッと変わりました。
チップというのは、感謝を学ぶためには素晴らしい道具じゃないかと。
強制されれば嫌ですが、本当にありがとうの気持ちで出すチップは気持ちが良い。

今回、ホテルに泊まった時は、
ベッドの脇、または「チップ歓迎」の封筒の脇に、
毎度折り鶴と一緒に置いてみました。最終日には"Gracias"(ありがとう)の一言を添えて。
tip1.jpg


メキシコシティのホテルでは、たまたま午後私がいったん部屋に戻った時に
お掃除の女性が隣の部屋を掃除していて、大きな声で、
「あ、ありがとう!あなたの部屋はもうしっかり掃除しときました!」
折り鶴一つで、こんなにも喜んでくれるとは!

昼過ぎまで部屋にいることもあったグアナフアトのホテルでは、
担当のエレナと話す機会も多く、
洗濯を1日でしてくれたり、掃除の時間を相談して決めたり、
その他いろいろとお世話してくれました。
毎日の折り鶴で「私はもう2つももらったから良いけど○○さんも欲しがってる…」と言われ、最後は残りを全部折って余ったコインと共に置いて来ました。

tip3.jpg


私はわずかのお金と折り鶴を置いていただけなのに、なんと、最後にエレナは
「私のことを忘れないで」
とこんな10倍返しのプレゼントをくれたのです。
Elena2.jpg


グアナフアトのお土産品2つに、ペン立てのついたピンクのキリスト像。
こんなにたくさん!なんだか申し訳なくなりましたが、
彼女の気持ちが嬉しくて、今思い出しても感動満タンです。

Elena.jpg

ホテルの住所は分かっているので、日本から何か送ろうかな。

何だかわらしべ長者のような展開?
たかが折り鶴から、愛が広がっていくのを実感することができました。
エレナ! ¡Te quiero! (I love you!)

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

メキシコの安全 [旅]

Alameda4公園.jpg


メキシコ・シティを去る時のタクシーの中で、
「多くの日本人はメキシコを怖いと思っているから、そうじゃないことを伝えたい。」
と言うと、運転手が、
「日本人だけじゃないよ、世界中がメキシコを怖いと思ってるよ。でも違うんだ。大都市はどこだって何かしら危険な場所があるものだし、そういう場所さえ行かなければ、全然危険じゃないんだ!」

m-混雑.jpg


私がメキシコで昔住んだことがあるのは、
メキシコシティから車で1時間半くらいの所にあるモレロス州のクエルナバカで、
スペイン語の学校に行っていました。
一年中春の気候で、一年中花が咲いていて、のどかで安全、という理想的なところでした。

毎土曜 excursiónといった日帰り旅行が企画されていて、
世界二位の銀山であるTaxcoへ行ったり、様々なピラミッド、メキシコシティまで足を延ばして、
テオティワカン遺跡、国立民族学博物館、そしてベジャス・アルテス宮殿での民族舞踊を見に行ったり。
それで、メキシコシティへは、この日帰り旅行で時々行くか、学校の期間が終わって(当時はアメリカに)帰る際2泊ほどメキシコシティに泊まる、という程度しか経験はありませんでした。

BA1.jpg


12年前に母を連れてメキシコに行った時も、
まずはメキシコシティでしたが、ホテルを通して現地のツアーを頼んだりしていたので(この方法が一番安く確実に色々なところを観光できますが、日本語が必要な場合は値段が跳ね上がります)、地図を見て歩き回るということは、あまりした記憶がありません。

今回は、行くべき所が全て含まれる現地のツアーをネットで見つけ、予約しておいたので、夜到着して翌朝すぐにツアー、という強行軍でスタートしましたが、2日目はやっと1日一人歩きの日となりました。その内容は他の記事で書くとして、その1日、歴史地区、ソカロはもちろん、途中ガリバルディ広場でお巡りさんのお世話になったものの、夜にアラメダ公園内で散々歩き回って買い物をしても、全く危険を感じることがなく、メキシコシティは全然危険じゃない、と確信できたのでした。

Alameda1.jpg


ただ、夜大都会での女性の一人歩きは、基本的には勧められることではないので、必要がなければやめましょう。

それでも、ニュースや映画で見る麻薬取引や銃撃戦には、普通はお目にかかれません。

ただし、メキシコ・シティのタクシーは昔も今も悪名高いのです。(現在完了進行形)
平和なクエルナバカに住んでいる時も、タクシーに乗る時は、必ず行先を告げて値段交渉をしてから乗る、というのが当たり前でした。また当時はメキシコシティでタクシーに乗ったら、必ず運転手の名前を書き止めておくように、とも言われていました。もし強盗されても名前を訴えれば戻ってくることがあったからです。

ただ、政府もメキシコシティが怖いというイメージを払拭するために、徹底的に対策を練っていて、町中に警官がいて、しっかりと見張っています。また、空港内にタクシーカウンターがあり、そこで行先を告げ、先にお金を払います。チケットをもらいタクシー乗り場で運転手に渡すだけ。それでも昔は客引きがウロウロしていましたが、今はそういう人は一切入れなくなっています。なお、基本メキシコではタクシーにチップはいりません。




観光に行って空港以外でタクシーが必要な場合は、ホテルに頼んで呼んでもらえば良いのです。空港やホテルから正式に乗れるタクシーは、悪いことはしません。(後にグアナフアトで仕事放棄した無責任野郎は出てきますが、それは人間的例外)

恐いのは流しのタクシーです。大量に走っていますが、絶対に乗ってはいけません。私も昔住んでいる頃は、乗ったことがありますが、特にスペイン語で普通にコミュニケーションを取る自信がないのだったら、やめましょう。英語はメキシコ人の母語ではありません。

さて、これだけメキシコに慣れているつもりの私でも、今回一番安心したのは、Uber(ウベ)について聞いた時です。日本にはなかなか定着しませんが、Uber(一般にはウーバー)というのは、携帯で事前に地図画像を見て、近くにいるタクシーを自分のいる場所に呼ぶというもの。値段も事前に確認でき格安ということになっています。支払いはカード払いなので誤魔化しようがないのです。(使うには事前にネット上で登録が必要)。東京でもたまに可能なタクシーが地図上に現れることはありますが、「ご利用可能な車がございません」と出てくるのが普通です。

Uber、空港タクシー、ホテル、この3点を心得ておけば、メキシコ・シティのタクシー問題は解決です。タクシーの安全な乗り方さえ心得ておけば、メキシコシティも全然危険なところではありません。

ただ、私がUberを使ってみようとした日はあまりの混雑で、
「Uberの呼び出しが殺到しているので、通常より料金が1,5倍に跳ね上がっていますが、それでも頼みますか?」
というメッセージが出て、やめました。今回のツアーで仲良しになったカナダ人に言わせると、カナダではこういうことがしょっちゅうあると言っていました。
それでも最終日にもう一度チャレンジしましたが、
「カードが無効です」
今回は断念しました。次回までにはUberの使い方をマスターしたいものです。残念!

Mex2.jpg

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行
- | 次の10件

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。